Ryu Kato
click anywhere to navigate

Ryu Kato

CV

1979 — Born in Aichi, Japan

2003 — Graduated in BA architecture, Tokyo University of the Arts

Now lives in Tokyo

2015 — Solo exhibition 「TODAY」 / TRAUMARIS

2021 — 24th TARO OKAMOTO Award / TARO OKAMOTO MUSEUM OF ART

2022 — 「Platform 29.8」 / ANB TOKYO

2023 — HiroshimaMOCA Collection Exhibition / Hiroshima MOCA

2024 — Solo Exhibition 「Future Portrait」 / YOKOHAMA CIVIC GALLERY

2024 — The Constitution of JAPAN / AOYAMA MEGURO

2025 — Ubik / ZOU-NO-HANA Terrace

info@ryukato.com

texts

尊敬するアーティストであるT氏がある座談会でこんなことを話していた。彼はこれまで、数えきれくれないくらいある、日本中の、何と言っていいか、悪趣味ともいえるような珍しい観光スポットを取材してきた。彼は膨大な数におよぶそれらの、悪趣味ともいえるような個性的な表現を観てきた感想として、こんなことを言っていた。

「人間の想像力は、まだみたことのないもの、例えば死後の世界のようなものに向けられることが多く、私がみてきた数々の奇怪な施設の中では数多くの天国や地獄が描かれていた。それらを見ていて私はあることに気付いたのだけれど、それは、総じて、人間の表現として天国の描写は平板でつまらないものが多い。それに対して、地獄の描写となると、そこに費やされる情熱と創意工夫の表現の豊かさは、どれも個性的でイキイキとし、観ていて面白い。」

作品をつくることと子どもをつくることは、いくつかの点で似ている。思ってもみないタイミングでできてしまうことがある一方、つくろうと思ってもなかなかできなかったりする。そもそも、つくってもよいし、別につくらなくともよい。しかし、もしあなたがつくったことがあるならば、それはあなたの力でつくっているというよりも、もっと大きな力によってつくらされていると感じないだろうか。そして、そのできた姿を見てみると、不思議なことにそれはまるで鏡をみているように自分の姿を見ているようではないか。つまり、それは一種の人間の生存本能によるものなのである。そして、一番の類似点といえば、つくった以上、つくったことに対して責任を果たさなければいけない、つくることと同じくらい、つくった後に育てていくことが重要である、ということであろうか。たとえいずれはひとり歩きしていくものだとしても。。

一九七九年、僕が生まれた年、ストッックホルムで河原温のブリーフケースが盗まれた。

シカゴではマイケルアッシャーがジョージ・ワシントンの銅像を動かしている。フェリックス・ゴンザレス・トレスはキューバに戻り、8年の別離を経て両親と再会する。その後、フェリックスはニューヨークへ旅立ち、そこでヨーゼフ・ボイスの大規模な展覧会を観ることになるが、その年の間中、ソル・ルウィットは自宅にこもって、身の回りのものを手当たり次第に写真に記録していた。

4歳のヤン・ヴォーは、父親の手作りの船で祖国を脱出、世界の海にたったいま漕ぎ出したばかり。26歳のソフィ・カルはパリに戻り、自分のベッドに見知らぬ誰かを眠らせた。

ゴラン・ジョルジェヴィチは世界中のアーティストに手紙を送り、その活動を休止するよう説き勧め、マリーナとウーライはオーストラリアに向かう。

おしゃべりな学芸員によるガイドツアー。

「こんにちは、わたくし学芸員のキャサリンと申します。どうぞ最後までお付き合いよろしくお願いします。はじめに、作品を観始める前に、どうしてもこういった作品鑑賞ということになりますと、「さあ観るぞ」っていうそういった構えた意識になってしまうかと思うんですが、私の場合、いつも作品を観る前には、体の力を抜くっていうのを、意識してやっていまして。ほら、スポーツ選手とか練習の前には必ず準備体操しますでしょ、そんな感じで、かならずやっていることがありまして。あまり人前でするることはないんですが、今日は良い機会なのでみなさんに、その私なりの準備体操の方法をご紹介したいと思います。

まず、こんな風に舌を前の方に突き出すんです、はい、それから両手を真横に引っ張られるようなイメージで、そのまま視線だけ真上を見上げて、こきざみに腰をゆらします。細かく、細かく、、、、、はい、これだけです。この動きをするだけで、だいぶ体の力が抜けて頭がすっきりします。血のめぐりが良くなると、思考のめぐりも随分と良くなるんですね、ほんとに。もしよかったら皆さんも、、、、あの、人前でやると、ちょっとアレなんで、例えばトイレの中などで、ぜひ、実践してみてください。」

おしゃべりな学芸員によるガイドツアーの続き。

「美術の作品には大きく分けると、3つのタイプの作品があります、ひとつ目は「問いを発し続けている作品」、二つ目は「問いを隠している作品」、三つ目は「問いを発していない作品」、です。この三つ目の「問いを発していないタイプの作品」は、すごく乱暴にいってしまえば観る必要はありません、おそらく翌日の朝にはすっかり忘れているはずです、記憶に残らないCMと同じです、早送りしましょう。「問いを発し続けている作品」はみればすぐにわかります、すごく強い視線を感じます、「問いを発し続けている作品」は逃げも隠れもしないので、いつもかわらずあなたに問いを発しています、温泉が湧き出ているようなものでしょうか、いつまでみていても減るものでありません。こういうタイプの作品は美術館がこぞって欲しがります、それはそうでしょう、温泉が湧き出る場所を確保できればもうそれだけで商売していけるわけですから。

一番難しいのは、二つ目に紹介した、「問いを隠している作品」です。これは一見すると、「問いを発していない作品」かなって思うんです、隠してますからね、問いを。でも、うまくいくと、どこかのタイミングでその覆いがとれて、なかから問いがコロンッてでてきます。それが「問いを隠している作品」です。問いを隠している作品の難しいところは、その覆いは必ずあなたが取らなければいけない、という事です。そして、その覆いはいつでも上手に取ることができる、という訳でもありません。だから、最初に行った、あの準備運動、これ(目の前でやってみせる)が大切なんです、こうやって脳みそとか筋肉とかを柔らかくしておけば、その覆いが取れやすくなります。あと、これは結構重要なことなんですが、その、覆いは、必ずしも作品を観てる時に取れるとは限らないんです、例えば家に帰ってきて、夕食も済ませて、テレビも観終わって、ああ、お風呂でも入って寝ようかっていうそういう時に、、、、、、あっ、てなるんです。あっそういうことかっていう。時間差でやってくることが、往々にしてあります、気をつけてください。

はい、今日は鑑賞ツアーを始める前に、その鑑賞法を紹介しているうちに、すでに持ち時間を過ぎてしまいました。この展覧会には3つの作品しかありませんが、今言ったような私なりの鑑賞法を、すこし頭の片隅にでも置いていただいてゆっくりご覧になって言ってください。今日はどうもありがとうございました。」

(自分で拍手しながら退出する)

その日は真夏で私は短パンにサンダルみたいな格好で、美術館の中のエアコンのひんやりした温度が心地よく、はやくもうとうとしながらぼーっとその映像をみていました。白黒の、たぶんフィルムだと思うんですけど、昔の映画みたいなコントラストの強い映像でした、音もなかったように記憶していますのでおそらく8ミリフィルムだったんじゃないかと思います。そこはどこか工場を思わせるような場所でたくさんの労働者がなにか塊のようなものを洗っているのが見えました。

不鮮明な映像なので、あまりはっきりとしたことはわかりません。次のシーンでは、同じような作業場で、四角い箱のようなものにドロドロと何かを流し込んでいるのが見えます。なんとなくその流し込んでいるものがコンクリートだということはわかりました。でもそこでは、それくらいで、まあよくある、わざと謎めいた感じにしてる、思わせぶりな作品かなという感じでした。

その覆いが取れたのは、帰りの飛行機に乗っている途中のことでした。それは突然やってきます、突然、その、洗われていた塊が人間の死体だったということ、箱型の型枠に流し込まれていたコンクリートは、その死体を洗った水を混ぜて固められていたこと、そして、おそらく、その、固められたコの字型のコンクリートはその時私が座っていた当のベンチであったこと、がいっぺんにわかりました。いまではもう確かめる術もないことですが、まあ多分間違ってはいないでしょう。